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小学4年生の娘が突然不登校に

2019年の夏休みが明けて少ししてから小学4年生の娘が突然不登校になりました。

学校に行かない」なんて選択肢を考えたこともない親としては初めての経験です。

全く心当たりもなく、どうして良いのか分かりませんでした。

ネット上では「登校できないのなら無理させる必要はない」という考えも多く見受けられますが、僕たち夫婦としては娘には「これまで通り普通に登校させたい」と考えて奮闘しています。

2020年7月現在、いまだに普通に登校できる状態にはなっていませんが、このブログではその経緯や考え方などを記事として残すことで、今後の娘や家族(弟もいます)のため、そして同じ悩みを抱える家族のために少しでも役に立てればと考えています。

日記」は毎日気付いたことなどをメモ程度に書いていますが、ブログにすることを思い立ったのが不登校になってしばらくしてからなので、過去の日々は記憶が薄くなっています。

今後も何か思い出したり気づいた点があれば、加筆や修正を加えていきます。

 

バックグラウンド

私たち家族は2015年3月まで沖縄で暮らしていました。

父親はダイビングのインストラクター兼(水中撮影を含む)カメラマン、母親は看護師で、上の娘の保育園の年中が終わるタイミングで父親の実家である山梨県富士吉田市に引っ越してきました。(沖縄では年中で卒園となる保育園が多いです)

沖縄には親戚などはなく家族4人(父母、娘、息子)で暮らしており、父親の仕事が不規則だったため、保育園の送り迎えや食事などを父親が担当する日も多く、一般的な家庭と比べると父親と母親の役割が反対の部分も多い生活でした。

現在の父親の仕事は「F360」、日々の様子は「としろぐ」というブログで簡単に綴っています。

富士吉田に戻ってからは、母親は市の職員として働いており、カレンダー通りの休みです。

父親は相変わらず不規則な仕事のままですが、水中関係の仕事が激減したこともあり、地元のスイミングスクールのコーチや富士山の自然ガイドなどもしています。

しかし、父親の両親(娘の祖父母)も一緒に暮らしていたり、近くに親戚もたくさんいるので生活環境としてはかなり変わったと思います。

富士吉田にきてからは娘が保育園の年長から通っていて、父親が送り迎えをしたり、父母の会の役員などもしていたため、父親にママ友が多く、そのまま小学校に入ってもママ友との付き合いが続いています。

また、スイミングスクールのコーチをしていることで、娘と同じ小学校からスイミングスクールに通う子どもたちとも交流があります。

引っ越してきたからといって、決して家族として疎外感を感じるようなことはないと感じています。

娘の性格は、とにかく明るくて、外で体を動かすのが好きです。(弟はどちらかというとインドア派)

ちょっと真面目で責任感が強い(考えが柔軟ではない)ところもあるかと思います。

友達も多く、よく自宅に友達をよんで遊んだり、時には父親が娘とその友達を連れて遠くまで遊びに行ったりすることもあります。

習い事しては、父親と同じスイミングスクールとピアノをやっています。(弟も一緒)

 

どうして不登校になったのか?

上記のような環境で、どうして娘が突然学校に行けなくなったのか全く理解ができませんでした。

4年生の夏休みが終わってから不登校になるまでの経緯と考えられる原因をまとめてみます。

<クラスの係決め>

夏休みが終わって2学期が始まり、クラスの係決めがありました。

娘は仲の良い友達と同じ係になりたかったらしく、あまり人気のない係に二人で立候補してめでたく同じ係になれました。

しかし、少ししてから「やっぱりその係はやりたくない」と言いだし、クラス内でも少し問題になったようで、先生からも相談されました。

結局、別の係の子が交換してくれることになったのですが、変わった後のその係もなんだかやりたくないみたいで、不満をもらして泣きながら親に訴えることもありました。

始めに一緒の係になった仲良しの友達とも気まずい雰囲気になったかもしれません。

<代表リレー>

2学期が始まってすぐに運動会のブロック代表リレーの選手を決める競争がありました。(学年によってクラスの数が異なるので、運動会ではブロックごとに対戦します)

娘はこれまで惜しくも代表になれなかったのですが、今回初めてブロック代表に選ばれてとても嬉しそうに帰宅しました。

この時は本当に嬉しそうにしていて、家族みんなで喜びました。

ですが、翌日になって突然「リレーに出たくない」と言いだしたのです。

この時から学校に行くのが嫌になり始めたように思えますが、あんなに喜んでいたのがなぜ一転して嫌になったのか理解できませんでした。

後日、人から聞いた話ですが、どうやら娘が代表になったことで、代表を逃した子から何か言われたこともあるようです。

親としては、子供だから言葉を選べずに言ってしまうこともあると思い、それほど気にしていませんが、当人同士にとっては大きな問題だったのかもしれません。

その後、しばらくは学校に行っても泣いてしまったり、保健室で過ごしたりして、とうとう登校することもできなくなってしまいました。

ちょうど大事な時期に父親が長期出張で自宅に不在だったことも原因かもしれないと感じ、悔やまれます。

その後、娘はなかなか理由をはっきりと喋ろうとはしませんでしたが、実際に様々な理由が重ね合わさった結果で、本人も心の中がぐちゃぐちゃで口ではうまく説明できなかったように感じます。

そんな日々の中から、(これが全てとは思っていませんが)本人の口から出た理由が以下です。

<先生に怒られてるみたい>

4年生の時の担任の先生は若い男の先生です。(3年生から先生と生徒全て持ち上がりです)

私たち夫婦は家庭訪問の時などに話した感じでは、若くても生徒のことを考えているしっかりした良い先生だという印象を持っていました。

そんな先生が、時々ふざけている子供に対して大声で起こることがあるようです。

私たちの世代には当たり前のことですが。

真面目な娘は「自分は一生懸命授業を受けているのに、ふざけている子のせいで自分も怒られているように感じる」と言うのです。

特に大声で怒られるのが怖いみたいで、今でも少し怒り口調でいうと気にすることが多いです。

また、当時はスイミングスクールにも通えなくなっていて、その理由も同じで「◯◯くんがいつもふざけているので嫌だ」と言うのです。

これも全ての原因が一つとは考えていませんが、どうも大人数の中で和を乱す存在があるのが気になったり、そのことで先生が全体を大声で起こるのが苦手なようです。

<面倒見が大変>

ウチの娘はどちらかと言うと「しっかりしているタイプ」で、保育園の時から少し手のかかる子供の隣に座らされて面倒見を任されることが多かったです。

小学校に入ってからも、先生が当たり前のように娘の隣に落ち着きのない生徒(支援学級)を座らせることが多かったように思えます。

そして、4年生になっても同じような役回りをさせられていました。

もちろん親としてはそれがおかしいとも思っていません。

先生がクラス全体のことを考えて適材適所にしたのでしょう。

ところが、4年生ともなると男女の意識が出てくるのだと思います。

今までは気にならなかった異性を本人だけでなく、周囲も気にするようになってきたのではないでしょうか?

娘も「◯◯くんの面倒を見るのが大変」ともらすこともありました。

先生からするとありがたかった存在なので、思わずこれまで通りになっていたのではないかと思います。

<その他>

今回の不登校とは直接関係はないかもしれませんが、一応思ったこととして書いておきます。

これまで両親が仕事の時など、どうしても祖父母に面倒を見てもらうことが多かったのですが、その際にとにかくお菓子を与えることで静かにさせるという場面が多かったです。

両親はもちろん「モノで釣る」ということを気にしていましたが、祖父母からしたら可愛い孫なので喜ぶならなんでも手放しでしてしまうのでしょう。

よく聞く話です。

また、「学校から帰ってきたら宿題などみといて」とお願いしても、帰宅を確認したら祖母などは子供におやつを与えて、自分は隣の自宅でひたすらテレビを観ているだけ、ということも多かったです。

確かに両親が不在なので、そうなってしまうこともある程度は仕方ないとは考えています。

そのような場合には塾などの習い事に行かせるべきだったのかもしれません。

 

以上のように様々な理由が考えられますが、どれも決定的な一つにはなり得ません。

これまで蓄積されてきた様々なストレスが娘を不登校にさせてしまったのでしょう。

典型的なHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)だと思います。

そしてどんなに過去を振り返っても、取り戻すことはできません。

とにかくこれから先をどうするかを考えなければなりません。

 

親としてどうすべきか

始めのうちは「不登校なんてありえない」「とにかく学校に行け」と思っていましたが、学校に行きたくない時の言動、暴れ方などを見ていると、「これはただ事ではない」と感じました。

とにかく全てが嫌で、良く言う「赤ちゃん返り」と「反抗期」が混じっているように思えました。

赤ちゃん返り」だけではない理由は、「ただなんとなくイヤ」ではなく、ちゃんと思考したり喋ったりすることができる年齢だからです。

しかし、本人からしても考えても考えてもしっかりした理由がわからず、言葉にもできないもどかしさがあるのでしょう。

それはいわゆる社会に対して反抗する「反抗期」のようにも思えます。

いずれにしても「このままではまずい」「どうにかしなければ」という思いばかりが出て焦ってしまいます。

この時点でどこか病院を受診させたかったのですが、紹介された評判の病院は予約殺到で結果的に11月上旬の予約がやっと取れただけでした。

始めのうちはとにかく、暴れている状態を見ていられなかったので、「無理して学校に行かせる必要はないのでは?」と考えていました。

実際にネットで調べると「行きたくないなら無理に行かせなくても良い」という記事はたくさん出てきます。

しかし、それらを読んでいくと、不登校になったけど結果的に成功している人の体験などで最終的には書籍などの販売につながる記事が多いように思えました。

必ずしも学校に行かなくても良い、それでも人生の成功者になれる」と言う考えはもちろんあると思いますが、全ての不登校の人間に当てはまるとは思えません。

そして実際には娘は学校には行けないけど、引きこもるわけでもなく外で普通に遊ぶし、友達とも一緒に遊べるのです。

この状態で「無理して学校に行かせる必要がない」とは両親ともに思えることはできなかったのです。

そして何よりも「娘には普通に学校に行って、友達を作り、普通の社会人として世の中に出て生き抜いてほしい」と言う思いがあります。

そうこうしているうちに運動会の日が近づいてきました。

そんな時に、これまでのことを相談に乗ってくれていた娘の友達のお母さんからアドバイスをいただきました。

彼女の友人が東京で小学校4年生の担任をしていて不登校のケースをいくつも見てきているそうです。

その先生によれば「運動会などのイベント直後はクラスの雰囲気なども変わるので不登校だった生徒を登校させるチャンス」だと言うのです。

私たち両親も「いつまでも不登校でズルズルと時間だけが経つのはおかしい」と思っていた矢先だったので、運動会当日(娘は両親と見学には行ってました)の夜からなんとかおだてて、運動会翌日には半ば無理矢理にも思えますが、とにかく学校に連れて行くことにしました。

保健室登校ではありましたが、友達や先生にも会い、友達に誘われて少しだけ教室に行くこともできました。

娘が友達と話す様子を見ていても「これはいける!」と感じました。

完全不登校になってから2週間ほどが過ぎていました。

この日くらいから「学校をやめたい」と言い出したり、夜中に半覚醒状態で大暴れしたりすることもあり、とにかくなだめるのが大変でした。

でも、「イヤなら行かなくても良い」と言うことはできるだけせずに、根気強く説得をするようにしました。

月に2回の小学校のスクールカウンセリングも受け始めました。

もちろん両親のストレスも大変なものですし、弟への影響も心配でした。

 

その後、以前にアドバイスをいただいた東京の小学校の先生と直接お話をする機会を作ってもらうことができました。

その先生の経験則によれば、「無理して行かせない」「無理してでも行かせる」の両方の考え方はあるが、「ちゃんと登校できるようになる確率」は圧倒的に「無理してでも行かせる」方だと言うのです。

もちろん全てのケースに当てはまるわけではないことは理解しています。

しかし、今の娘を見ていると引きこもっているわけでもないし、友達ともちゃんと話ができて一緒に遊べるんです。

ここは絶対に「無理してでも行かせる」方が良い方に向かうと両親の意見は一致して、腹をくくることにしました。

 

保健室登校

今更原因を掘り返すつもりは全くありません。

ゴールは「娘がこれまで通り学校に通えるようになること」です。

そのためには両親だけでなく、学校側にもお願いして、保健室に加えて別の部屋で一人もしくは空いている先生と一緒に過ごせる環境を作ってもらうようにお願いしました。

また、保健室に登校すると休み時間にはいつも友達が顔を見にきてくれます。

クラスの友達も毎日宿題を書いたメモ書きを持って帰りにウチに寄ってくれます。

他の友達も毎日帰りに寄って遊んで行ったり、週末に約束をして遊びに行ったりもしてくれます。

担任の先生も保健室で授業をしてくれたりして勉強の進み具合を気にしてくれます。

周囲の環境が全て娘を学校に通わせる方向で整ってきました。

以前のように「学校をやめたい」という言葉も出なくなったように思えます。

気分によってはなかなか登校できない日もありますが、あれからほとんど毎日保健室登校はできるようになってきています。

三歩進んで二歩下がるような前進かもしれませんが、決して後退している訳ではありません。

まだ、一人で、もしくは弟と一緒に集団登校という訳にはいきませんが、確実に不登校からは抜け出ているように感じます。

あとは私たち両親が、根気強く、辛抱強く、しっかりと娘と向き合って少しずつ前に進めていくしかありません。

そして娘の言動などの小さな変化にも気づけるようにしたり、勉強の遅れ、弟などへの影響など、周囲の環境にも配慮するなど、決して気を抜くことなく慎重に生活していく必要があります。

 

そんな日々が過ぎていく中、10月25日にスクールカウセリングを受けた際に描いた絵が印象的でした。

内側の丸の中(卵の黄身)には自分の中のイヤだと思うこと、外側の丸の中(卵の白身)には自分の中の楽しいことをイメージして描いたのですが、本人曰く、「イヤなことの中にある真っ黒い点はイヤなことの塊」とのことでした。

また、内側の丸の中の赤や緑、紫などのぐちゃぐちゃしているのはイライラなど、外側の暖色系のグルグルは外で楽しく遊んでいること、だそうです。

短時間で行なった簡単な心理テストのようなものなので一概には言えませんが、これを見ると、本人の中に何か決定的な理由があるようにも思えました。

しかし、先生によればそれは本人にもハッキリとはわからないこともあるとのことでした。

そして、ちょうど同じ日に校長先生、教頭先生、そして市内の総合教育支援員(元校長先生)を交えて今後の話し合いをする機会をいただきました。

内容は「保健室登校ができるようになってきたので、学校側としてこれからの対応をどうするか?」というようなものでした。

当初は娘が学校にいる間の居場所を保健室の他に設けて、一人にならないようにその時に手の空いている先生が面倒をみていく、ということになっていました。

しかし、これまでの様子を見ていると、少しずつ担任の先生とも関わりを持てるようになってきていたので、両親及びこれまで最も近くで接していた保健室の先生の考えで、できれば担任の先生にもっと関わる時間を作ってほしいと訴えました。

また、そうすることで担任の先生の負担ばかりが増えてしまうので、学校側としてクラス全体のフォローをしてもらえるようにお願いしました。

今までは、家庭、学校、支援員の間で伝言ゲームのように様子の伝達などをしていたので内容が正確に伝えっていなかった可能性もありますが、この機会で周囲の環境全体が同じ方向性をしっかりと確認できたと思います。

 

精神科を受診して

11月初旬に予約しておいた小児精神科を受診しました。

先生によれば、

・保健室登校はできている

・友達とも遊べる

などのことから、このまま友達との関係を続けていけば、友達の後ろに「学校」を必ず意識する時が来るので、それほど心配しなくても大丈夫とのこと。

また、夜に暴れるのは「夜驚症」だろうとのことでした。

精神疾患などを心配しましたが、それほど深刻にならなくて良いとのことで、ひとまずはホッとしました。

ただし、医師としての見解なので、通学のことではなく、まずは心と体の健康を回復することを優先するので、ややのんびりとした考え方であることは感じます。

また、これはスクールカウンセラーの経験則からも、親が思っているよりは時間がかかるケースが多いようです。

 

それからは、波はあるものの、保健室登校は続きました。

学校側が対応してくれた先生によっては、すぐに馴染むことができないこともありましたが、時間をかけることで徐々に慣れてきました。

しかし、勉強を意識すると、どうしても気持ちが落ち着かなくなったりすることもあるようでした。

また、家では母親と弟に暴力的になることが多く、母親も気持ち的に落ち込んで、市役所で自分自身のカウンセリングを受けるようになりました。

市のカウンセラーによると、母親と本人、弟と本人の距離をうまく取れてないことが考えられるとのことで、父親にはそれほど当たることはありませんでした。

 

そんな中、12月の上旬には大きく気持ちが落ち込んで、再び学校に行けなくなってしまいました。

せっかくここまで、ゆっくりと階段を上ってこれていたので、両親ともにとても心配でした。

とりあえず、勉強は置いておいて、通学を優先するように学校側にもお願いしました。

学校側とも何度か話し合い、本人の負担ができるだけ少なくなるように配慮していただき、終業式に向けて、その落ち込みから徐々に回復して再び保健室登校ができるようになってきました。

そして、終業式まであと数日にせまった週末、学校でも勉強の授業はあまりなく、レクリエーション的な時間が多くなる頃に、今までよりも少しクラスの友達と過ごせる時間が増えました。

さらに、週が明けてから水曜日の終業式までの3日間は、父親、弟と一緒に集団登校の時間に歩いて登校することができました。

今までは他の生徒の目を気にして、集団登校の時間には登校できなかったので、とても大きな進歩のように思えました。

しかし、これが冬休みを控えていることや国語や算数などの授業がないから、という理由も考えられるので、慎重に考えたいと思います。

 

冬休み

終業式が終わって帰宅してから、すぐに「冬休みの友」に取りかかりました。

これまでは勉強を避けるようにしていたので驚きましたが、「冬休みの友」の始めのページの目標を書く欄には「二学期におくれた分をできるだけみんなに近づけたい」と書き、勉強への意欲があるようでした。

冬休みは登校のことを考えなくて良いからなのか、夜も穏やかに眠る日が多く、勉強にも少しずつ取り組むようになっています。

集中力が長続きせず長時間の勉強は難しいですが、冬休み期間中は無理のない範囲で取り組めれば良いと感じています。

一方で、もし3学期から登校できるようになった場合に、勉強の遅れをあまり感じさせないようなレベルになっていて欲しいと思うので、担任の先生とも連絡を取りながら勉強の内容を考えたいと思います。

2019年12月30日現在

 

3学期が始まって

3学期に良いスタートが切れるようにと思い、冬休み中には宿題などをやり残りがないようになんとかさせました。

しかし、いざ3学期が始まると2学期の終わりのように登校することができませんでした。

ある程度は予想していましたが、2学期の終わりは長期休みが目前だったから頑張れたのでしょう。

3学期が始まるというのはストレスに感じているようで、1月の前半はなかなかスムースに登校することができませんでした。

それでも1月中旬くらいから落ち着いてきて、登校できるようになり、1月後半には、親も一緒だけど、集団登校の時間には登校して、親も早々に離れて帰宅でき、下校時間まで学校で過ごして友達と帰ってこれるようになりました。

教室にはなかなか入ることはできませんが、教室ではない場所での体育や図工室での授業などは少しずつ参加できるようになってきました。

その一方で、一つ大きく気になることが出てきました。

2学期の後半から別のクラスの友達が、娘と同じように不登校になっていました。

そして、その友達と学校で一緒になると、意気投合して勉強からは離れて遊んでしまうことが目立つのです。

学校側にも相談していますが、先生の数が足りないことを理由になかなか完全に離すことはできません。

さらに、その友達の親は、ウチの娘が学校にいることで、その友達も登校できるので、一緒にしてほしいと言っていたそうです。

しかし、様子を見ていても二人の回復ステージが異なり、明らかにウチの娘にとってはブレーキに思えるので、何度も何度も学校に相談しました。

現在は午前中は極力二人を離して、給食の時間からは一緒になってしまうことも止むを得ないという回答をもらっていますが、実際には先生の数が足りずに朝から一緒になってしまうこともあります。

また担当してくれる先生によっても、子供達の気持ちの変化などを上手に汲み取ることができずに、どうしても二人を一緒にせざるを得ない場合もあるように感じます。

もう3学期も後半になり、いよいよ5年生に上がろうというタイミングで、この状況はとても心配ですが、学校での生活に対しては親としてはこれ以上どうすることもできないので、学校側と連絡を密にして、気になることがあれば、すぐに修正してもらうようにお願いするしかありません。

2020年2月26日現在

新型コロナウィルスと春休み

3学期の後半は、学校側の協力により、もう一人の不登校の生徒との距離の取り方にも慣れてきて、教室には入れないながらも、体育や図工などには参加できるようになってきました。

時々気持ちの落ち込みなどの波はあるものの、安定して学校には行けるようになってきたのですが、新型コロナウィルスの影響で、3月4日~15日まで予定外の休校となってしまいました。

せっかく安定して学校に行けるようになってきた矢先に長期休みになってしまうのは、その後がとても心配ですが、どうすることもできません。

休み中は少しでも勉強の遅れを取り戻せるように、と思いましたが、やはり集中力が持続できなくて、あまり多くの勉強をすることはできませんでした。

それでも、ほぼ毎日、あまり嫌がることなく何らかの勉強の時間を取ることはできたと思います。

 

休校期間が終わると、数日で修了式です。

修了式までの数日間もこれまでのように登校ができました。

他の地域に比べると、休校期間は短くて、少しでも学校に行ける時間があったのは良かったと思います。

しかし、これまで娘と上手に関わることができた信頼できる先生方のほとんどが異動になってしまい、新学期がとても心配です。

そして春休み中は宿題もありませんでしたが、ほぼ毎日少しですが自分から勉強にも取り組むことができました。

 

2学期の始めに不登校が始まり、冬休みを挟んで3学期と区切りの良いタイミングで普通に登校できるようになると期待しましたがダメでした。

そして今度は春休みを挟んで新学年というタイミングです。

旧担任の先生にお願いして、新学年が始まる前日に新学年の先生方を含めた学校側と、新学年の入り方などについて話し合いの場を設けていただきました。

これまでの経緯から、そう簡単に普通に登校できるようになるとは思えませんが、できることは全てやって新学年に期待したいと思います。

2020年4月8日現在

5年生になって

5年生になって新しいクラスメイトや先生など環境が大きく変わりました。

また、新型コロナウィルスの影響もあり、全く先が読めない状況で5年生がスタートしました。

始まってすぐの頃は新しい学校体制に馴染めずに、かなり機嫌の悪い日が多く、なかなか学校に行くのが大変でした。

先生方がほとんど入れ替わり、5年生になったこともあって、4年生の時とは少し違うアプローチをしてみるという方針もあったようですが、全く逆効果だったように思います。

しばらくは我慢して見守っていましたが、なかなかこれまで通りにならなかったので、両親で何度か学校に足を運んで、娘との接し方を相談させてもらいました。

その結果、学校側も少し体制などを見直してくれて、少しずつ学校に行けるようになってきました。

そんな矢先に新型コロナウィルスのため、休校が決まりました。

休校中は学校に行かなくて良いので、少しは穏やかに過ごせるかと思っていたのですが、外で遊べないこともあり、思っていた以上に機嫌の悪い日が多くて大変でした。

友達と遊ぶこともできず、仲の良い家庭と相談して、オンライン勉強会をすることにしました。

これは少し効果的だったようで、勉強会の日を楽しみにするようにもなりました。

GW明けから再登校の予定でしたが、近隣で新型コロナウィルスの感染者が出てしまい、また少し登校日が延びたり、半数ずつの登校になったりと、かなり先の読めない状態でした。

再登校が始まった5月中旬頃は、かなり荒れていて、家で暴れたり、登校できない日もありました。

それでも5月後半に通常登校に戻ってから、少しずつ気持ちが学校に向いてきて、6月になる頃には、母親との車登校ですが、朝普通の時間に登校して、母親と離れ、下校時刻まで学校にいられることが多くなってきました。

しかも、だんだんと教室に入れる時間も長くなってきました。

ただ、教室に入っていると言っても、別のことをしていることが多いようです。

時々気持ちの波の落ち込みがあって、すぐに登校できないこともありますが、不登校になってから、最も安定しているように思います。

ここから先、どのようにして普通の生徒と同じように登校し、授業を受けたりすることができるようになるのか、全くわかりません。

でも、波はあるものの、今の状態はこれまでに比べると、かなり良くなってきているという実感はあります。

ここからまた落ちることのないように、周囲と連携して前に進みたいと思います。

2020年7月6日現在

1年経過

7月に入ってしばらくしてから、ランドセルを持って学校に行けるようになりました。

しかし、朝は気持ちが落ち着かないことが多く、登校するまでに毎朝それなりに工夫が必要でした。

また、登校してしまえば下校時間まで学校で過ごせるようになってきてはいるものの、授業中に別の本を読んでいたり、廊下で別の教室に入れない友達と遊んだりすることもあったようです。

定期的に通っている精神科からは、夜によく眠れるように漢方薬を提案されて、飲み始めるようになりました。

時々学校に行けなかったり、遅れて行ったりすることもありますが、基本的には普通の時間に登校ができるようになってきました。

8月に入り、例年よりも遅めの夏休みに入りました。

夏休み中はほぼ毎日ラジオ体操に行き、そこで友達と会う時間ができたり、時々約束して日中も遊んだりして過ごしていました。

夏休みが終わり、始業式の日には学校に行くことができませんでしたが、翌日から少し苦労はあったものの、これまで通り登校できるようになりました。

林間学校や運動会などのイベントが控えていたこともストレスだったように思います。

朝の登校時がいつも大変でしたが、早朝にドライブをして車内でラジオ体操をすることで気持ちを落ち着け、その後朝食を食べてから再び車で登校し、その車に友達に迎えにきてもらうことで安定して登校できるようになってきました。

また、運動会は昨年は全く参加できずにスタンドから両親と見ていただけでしたが、今年は(新型コロナウィルスの影響でかなり短縮された内容でしたが)2つの演目のうち、一つはジャージを着て参加でき、もう一つ(メインの踊り)は参加できずにテントの下から見学する形となりました。

運動会が終わってからも安定して登校でき、教室で落ち着いて過ごせる時間も長くなってきました。

ここまで1年以上かかりましたが、まだ集団登校ができない、体育の日にジャージを着ることができないなど、他の友達と同じように過ごせているわけではありません。

それでも1年前に比べると、大きく前進してきました。

ただ、ここから先の進み方は目に見える変化が少ないことや、親として何をすればいいのかよくわからない、という状態です。

とりあえずは、今の状態をキープしつつ少ない変化などに注意しながら生活を続けてみたいと思います。

時々機嫌が悪くなる波は来ますが、全体的によくなっていることは間違いないので、動揺せずにブレないようにしたいと思います。

2020年10月9日現在

 

これから大きな変化があれこのページに加筆し、日々の行動や気づきなどは「日記」に書いていきます。